第0章

東欧スタツアについて

設立経緯とテーマ設定

私たちは、昨年度夏にモルドバ共和国へ渡航し、「フィルターなしで東欧の人々の正義を覗き、我々の正義を見つめ直す」というテーマでスタディツアーを実施しました。設立の根本にあるのは、西側諸国に生きる私たちはメディアや教育を通じてバイアスがかかった旧ソ連地域への思い込みがあるのではないかという強い問題意識です。そこで、実際に渡航することで、歴史的・地政学的な文脈の中で、現地の人々が何を「正しい」と信じ、どのように生きているのかを直接知ることを目的としました。

モルドバを選んだ理由

モルドバをスタディツアーの目的地に選んだのは、この国が持つ複雑な政治的・経済的状況が、テーマを深掘りするうえで最適であったためです。

モルドバは、域内に親ロシア派の多いガガウズ自治区や、武力衝突を経て事実上独立した未承認国家である沿ドニエストル共和国を抱えています。これにより、親ロシア派と親EU派、そして現政権(親欧米派)の立場といった複数の異なる声が存在します。

モルドバに渡航することで、そうした一つの国家の中で生まれている複雑な分断と人々の感情の機微を捉えることができると考えました。

渡航地域

多民族国家かつ、地域色が強いモルドバの現状を把握するためには、複数地域に渡航する必要があると考えました。我々はキシナウ・ガガウズ自治区・バッサラベアスカ・タラクリア地区の四つの地域を訪問しました。

アポイントメント

私たちは一般市民や草の根レベルで活躍される方々から政府関係者まで、幅広い方々から生の声を収集しました。これにより、一方向ではない多角的な視点の獲得を目指しました。訪問先には、在モルドバ日本大使館や米系シンクタンクなどの国際機関のほか、民族関係庁や社会学者など、専門的知識を持つ関係者を含みました。

また、ガガウズ自治区では評議会副議長 Alexnadr Tarnavschi氏から直接意見を伺い、タラクリアでは政府関係者と対話しました。さらに、モルドバ国立大学の学生や街頭インタビューを通じて、人々の日常的な感情を記録しました。

第1章

モルドバとは

1. 基本情報

東欧の小国

モルドバ共和国は、東ヨーロッパに位置し、西はルーマニア、東はウクライナに挟まれた小さな内陸国です。面積は約3.4万平方キロメートルで、九州よりやや小さいくらいの大きさです。

公用語はルーマニア語 (モルドバ語)ですが、東部地域や都市部ではロシア語も広く使われており、言語一つとっても文化的な多様性と複雑な歴史を映し出しています。人口は約240万人ですが、若者の国外流出 (ディアスポラ)が深刻な課題となっています

ヨーロッパ最貧国

若者が流出する背景には、モルドバの非常に厳しい経済状況があります。ヨーロッパ最貧国と呼ばれるこの経済的状況が、国民の政治的スタンスにも大きな影響を与えています。

政治は欧州連合(EU) 加盟を目指す親欧州派と、ロシアとの連携を重視する親ロシア派の間で国民は揺れ、分断されています。特にウクライナ戦争勃発後は、EU加盟候補国となり、欧州への傾倒を強めています。

歴史・文化

モルドバはルーマニアと深い結びつきを持ちながら、長きにわたりオスマン帝国、そしてソビエト連邦の支配下に置かれてきました。1991年にソ連から独立を果たしましたが、その影響は今なお色濃く残っています。

異なる世界に挟まれながら、モルドバは多様な文化を育んできました。主食は、ルーマニアやスラヴ文化の影響を受けたトウモロコシの粥「ママルィーガ」です。また、モルドバは肥沃な土壌に恵まれ、世界でも有数のワイン産地としても知られています。

2. 歴史

三つの大国の狭間で(16世紀~19世紀)

現在のモルドバを含む地域は、かつてベッサラビアと呼ばれ、その歴史は常に大国間の支配と影響下にありました。16世紀以降、この地を含むルーマニア公国群はオスマン帝国の属国となります。しかし、18世紀以降に勢力を拡大したロシア帝国が南下。1812年、ブカレスト条約によりベッサラビアはオスマン帝国からロシアへ割譲され、ロシア領の一部となりました。。

モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国の誕生

第一次世界大戦後の混乱期にはルーマニアに併合されますが、第二次世界大戦中の1940年、ソ連の占領を経て、ベッサラビアは正式にソ連領となります。これにより、モルダビア・ソビエト社会主義共和国 (モルダビアSSR)が建国され、ソ連崩壊まで連邦を構成する一員として約半世紀を過ごしてきました。

独立と紛争の勃発

ソ連の崩壊に伴い、モルダビアSSRは1991年にモルドバ共和国として独立を果たします。しかし、この独立に東部のドニエストル川左岸地域が強く反発し、1992年にトランスニストリア戦争が勃発しました。

結果的に分離派(沿ドニエストル共和国) 側の実質的な勝利となり、同地域はモルドバの統治が及ばない実質的な独立状態となりました。現在まで、未承認国家沿ドニエストル共和国が存在し、大きな課題となっています。

History of Moldova

1349年

モルダヴィア公国建国

1457年

シュテファン大公即位

1512年

オスマン帝国の宗主権下に

1792年

現在のトランスニストリア地域をロシアに割譲される

1806年

露土戦争勃発、ベッサラビア(現在のモルドバ共和国)がロシア領となる

1917年

ロシア革命後、ソヴィエトへの併合を決意

1918年

ルーマニアがベッサラビアを占領

1940年

ソ連がベッサラビアを占領しモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国を創設

1991年8月27日

モルドバ共和国独立宣言

1991年12月21日

独立国家共同体(CIS)創設協定議定書に署名

1992年

トランスニストリア紛争開始。ロシア軍が介入し事実上の分離状態に

2014年

EUと連合協定を締結。ロシアとの緊張高まる

2022年

ロシアのウクライナ侵攻を受け、NATO・EU志向を強化

2023年

EU加盟国として承認される

現在

3. 現在の課題

未承認国家、沿ドニエストル共和国

モルドバにとって最も重大な国内問題は、東部の沿ドニエストル地域に位置する沿ドニエストル共和国です。1992年の武力衝突以降、未承認国家でありながらも東部地域を支配しています。

この地域は旧ソ連末期の時点でGDPの4割を占めた重工業地帯であり、その喪失はモルドバ経済に大きな影を落としています。沿ドニエストル共和国は、ロシアからの積極的な支援を受けているだけでなく、ロシア軍が常駐しており軍事的な脅威にもなっています。

経済的格差とロシア依存

モルドバは、自国産業が非常に脆弱です。農業・食品産業・軽工業以外の目立った産業がなく、GDPの推移も低い水準に留まっています。そのため、働く世代が EUへと出稼ぎに行くことも多く、GDPの約24%はそうした人々からの送金です。

また、ロシア依存も経済を不安定化させる大きな要因となっています。石油や天然ガスのほとんどをロシアに依存しており、大きな外交リスクとなっています。25年1月には、ロシアからのガス供給停止が行われ、市民は大きな打撃を受けました。他にもロシアによるワイン輸入禁止 (06年)といった貿易措置が、政治的な圧力として利用されるリスクを常に抱えています。

ウクライナ難民の受け入れ

隣国ウクライナでの戦争勃発以来、モルドバ政府は、「難民に国境を開き続ける」と表明し、モルドバのこれまで80万人もの難民を受け入れてきました。人口のおよそ3分の1にあたる人々がモルドバへと避難しています。

こうした背景には、モルドバとウクライナは兄弟であるという認識やロシア語という共通言語の存在があります。しかし、難民の増加に伴う物価高や戦争拡大を恐れるモルドバ国内の若者流出など課題も見られます。

政治的分断と未来の方向性

モルドバの政治は、長らく親欧州派と親ロシア派の間で分断されています。現政権は明確にEU加盟を目指す方向性を打ち出しており、街並みにはEU旗などのシンボルを目にすることが多く、政府の志向を反映しています。

 一方で、南部にはトルコ系親露派住民が住むガガウズ自治区が存在し、東部には先述した沿ドニエストル共和国が存在します。このガガウズ問題を含め、国内の政治的分断が、モルドバが抱える未来の方向性をめぐる複雑な課題となっています。。

4. 山田大使からのお話

人口流出の拡大

スタディー・ツアーのアポ先の中で、我々は在モルドバ日本国大使館を訪問しました。日本の書籍やメディア等にない情報を取り上げ、後述します。

モルドバの人口は、統計上約260万人ですが、実際には300~370万人ほどのモルドバ人がいると言われています。モルドバの賃金は低水準であるため、多くの国民がEU加盟国であるルーマニアのパスポートを取得し、EU諸国に出稼ぎに出ています。(モルドバ国民の約半数が取得済みとのデータもあります。)

そのため、モルドバ国内の世論調査の結果と選挙結果に乖離が生じることもしばしばあります。国外在住者による在外投票制度が確立しており、全投票者の1割程度を占める彼らの動向が国内政治に大きな影響を与えているからです。

我々が渡航した時期は、大学の夏休みや会社の夏休みと重なっており、キシナウ市内にはいつもに増してEUナンバーが駐車場に溢れていました。こうした人口流出とそれに伴う政治的動向の不安定さは、モルドバの経済的な不安定さを裏付けています。

オリガルヒと汚職

モルドバの経済成長を阻む課題として、オリガルヒや圧力団体の存在、そして深刻な汚職が挙げられます。

ルガルヒとは、ソビエト連邦が崩壊した際に従来の国営企業が民営化される過程で巨万の富を築き経済的・政治的に影響力を持ったロシアやウクライナの新興財閥のことです(weblio)。

政治・経済・司法の各分野は腐敗した構造の中で密接に結びついており、検事や判事など司法関係者の9割は首にするべきとまで言われるほど、汚職が蔓延しています。実際、何もないところに事件をでっちあげ、金銭を要求して脅すといった行為が横行しており、モルドバ人の司法への信用度はゼロに近い状態です。所得水準に見合わない高級車が多く見られることも、この腐敗構造によって一部の人間が利益を得ていることの裏付けと見られています。

第2章

各立場の声

1. 親EU派

経済的な健全性

モルドバの若年層の多くは、経済的理由を背景にEU加盟に賛成しています。現在、モルドバは欧州最貧国ですが、EUに加盟すれば、市場の拡大や外資の流入の結果、経済的豊かさがもたらされると人々は期待しています。そのため、若者を中心にEU加盟国であるルーマニアの公用語、ルーマニア語(モルドバ語)を重視する傾向があります。

構造的な腐敗からの脱却

親EU派の若者は、国内の腐敗と汚職に対し強い危機感を抱いています。彼らは、ロシアとの関係を維持することについて、オルガルヒによる政治・経済への介入や賄賂などの汚職の蔓延に繋がるとしてマイナスに捉えています。これまでこれらの問題に悩まされてきた彼らは、EU加盟によって厳格な法規制や監視がもたらされることを期待しています。

ロシアに対する恐怖心

また、安全保障面での不安感も彼らのEU志向に大きな影響を与えています。昨今は、隣国ウクライナでの戦争や、それに伴うロシアによる未承認国家沿ドニエストル共和国への駐軍などにより、政治・経済・軍事的に不安定な状況が続いています。

また、2023年にはロシアのラブロフ外相が「モルドバは、西側がロシアを相手に仕掛けたハイブリッド戦争で次の犠牲者になる運命だ」と語ったこともあります。そのためモルドバ国民は、自国が「第二のウクライナ」になるのではないかという恐怖心を抱いています。EU加盟は、西側諸国との連携によって自国の独立を維持するための選択になると考えています。

第2章 ドキュメンタリー動画

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2. 親ロシア派

失業なき安定

高齢者を中心に、ソビエト連邦時代に対するノスタルジー(郷愁)を抱いています。彼らが懐かしむ過去とは、「失業なき時代」です。当時は職が国家から割り当てられていたため失業の心配がなく、年金制度や医療・教育が無料でした。

また、物価が安定し、「みんな同じくらい貧しいけれど、みんな同じくらいに暮らせていた。」という平等感があったことが、現在の不安定な資本主義経済と比較される中で、美化されています。彼らはまた、現在の経済力でEU圏に加わればより厳しい競争にさらされるだけだと述べています。

プロパガンダの浸透とロシアへの幻想

上記のようなノスタルジーの裏には、ロシア語メディアの影響があります。親ロシア派の住民は、ロシア語メディアを通じて発信されるロシアのプロパガンダを日常的に受け取っています。彼らの多くは、ロシアからの政治への介入や賄賂の存在を知りつつも、メディアの影響で日々強まる「失業なき安定」のイメージによってそれを許容しています。

ロシアからの経済支援

また、モルドバ政府の支援が行き届かない郊外に対し、ロシアは積極的に経済支援を続けています。

例えば、親ロシア系の有力者に対し多額の資金援助を行い、目に見えるわかりやすい支援を行っています。ガガウズ自治区では、イラン・ショルという人物を通じてガガウジアランドという娯楽施設を建設しました。

このようにロシアは人々の心に響く支援を行っており、現地では「モルドバ政府は私たちの生活を救ってくれない。私たちを救ってくれるのはロシアだけだ。」という声もありました。

第3章 ドキュメンタリー動画

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3. ルーマニア統合派/NATO派

ルーマニア統合派

我々が独立記念日を訪れた際、少数ではありましたが、ルーマニア統合を訴える人やNATO加盟を訴える人がいました。

モルドバは歴史的にソ連によって引き裂かれただけで、民族的にはルーマニアと同じ国である、ルーマニアは兄弟であるという強い認識があります。ルーマニア統合の支持者は、統合によって豊かなルーマニアから年金などの経済的恩恵を得られるだけでなく、何よりもロシアの侵略から守られることを最大のメリットと捉えています。

NATO加盟派

歴史の展示でも述べたように、モルドバは長い歴史の中で幾度となく武力による侵略を経験してきました。モルドバは国防軍を持っていますが、NATO加盟を支持する人々は、NATOへの加盟こそが、ロシアの侵略からモルドバ人を救う唯一の道であると信じています。

第3章

制度面での課題

ここまでみてきたように、モルドバの人々は、狂信的にEUやロシアを信じているのではありません。今回動画で取り上げることができませんでしたが、他にもたくさんの人にインタビューを行いました。その中でもモルドバの社会学者Vitalieさんのインタビューを抜粋します。なぜ彼らが分断しているのか、改めてその背景にある構造的課題をまとめました。

言語

多くのモルドバ人は、モルドバが持つ多様性を誇りに思っています。国内に圧倒的な多数派が存在しないため、極端なナショナリズムによる分断が起きにくい社会基盤となっています。これは、移民の受け入れにも活かせる柔軟な社会構造であると彼は期待しています。

しかしこの多民族性ゆえに、国家としての言語統一は困難を極めています。公用語や教育の言語を一つに定めることが難しく、学校やメディアにおいて、ルーマニア語話者とロシア語話者の棲み分けが進んでいます。

その結果、人々は同じモルドバ国民でありながら同じ空間を共有する機会を持つことができなくなっています。このように、言語の問題は国民的なアイデンティティの共有を阻み、国民統合において困難が生じているのです。

メディア

彼曰く、その上でモルドバ人の意見が二極化する理由の一つに、モルドバが海外と競合できる主要メディアを持っていないことがあります。人口の少なさからメディアの収益化が難しく、コンテンツの充実度にも課題があります。そのため、多くの人々は面白さを求め、ルーマニア語話者はルーマニア系メディアを、ロシア語話者はロシア系メディアを視聴しています。多くの人々は西側・東側どちらかのみのメディアを視聴しており、情報の摂取源が完全に分断されてしまっているのです。

これについて社会学者ベネディクト・アンダーソンは、国家は「想像の共同体」であり統一されたメディアがその基盤を形成したと論じました。 しかし、モルドバ政府はこの「想像の共同体」に必要なメディアというツールを重視せず、コミュニティ形成に関してメディアを深刻な課題として捉えていませんでした。こうして、国民全体で議論できる共通の場が失われていきました。

ナショナリズム・アイデンティティー

モルドバは、他の旧ソ連諸国に比べてロシアから自国の独立を守ろうとする意志(ナショナリズム)が弱いという話があります。

バルト海に面するエストニアとモルドバを比較した場合、エストニアはナショナリズムの強さから人口流出を防ぐことができました。エストニアはロシアの隣国であるため、モルドバ以上にロシアと関係が深かったのです。そのため独立後も、ロシアからの干渉を受けるリスクが非常に高く、そのことに危機感を覚えた政府は脱ロシアのための政策(エストニア語の教育や政治体制)を徹底し、非常に強い自国産業(コンピューター)を確立しました。

しかし、モルドバはロシアと隣国ではないこともあり、エストニアほど強い政策は取りませんでした。これらが、モルドバの人口流出に影響しているという声もあります。

最近の選挙の動向

2024年の選挙と政治状況

2024年10月20日、モルドバでは大統領選挙の決選投票とEU加盟に関する国民投票が同時に実施されました。大統領選挙の結果、親EU派の現職サンドゥ氏が勝利しました。しかし、EU投票を問う国民投票では、世論が賛否で 抗し、現政権にとってはかなり逆風となりました。

しかしこの背景には激しいロシア干渉があったと思われています。モルドバ政府によれば、ロシアが国民投票に関連し、有権者買収のために約59億円を費やした疑いがあります。実際に、モルドバ当局は、票の買収、反政府デモの組織化、与党に不利な偽情報の拡散、インフラへのサイバ一攻撃、政府高官への政治的脅迫など、ロシアによる選挙干渉の疑惑に関連して74人を拘束しました。

2025年の選挙と政治状況

2025年の選挙は、親欧米派の与党が圧勝しました。この勝利を受けて、サンドゥ大統領は「欧州への道を進む」と改めて表明しました。モルドバはウクライナと国境を接しており、電力やエネルギー分野での「脱ロシア」を進め、欧州との完全統合を目指しています。

同時に、モルドバ政府は、ロシアの政治介入に対抗する措置を講じました。一部の親ロシア派政党に対し9月の議会選挙への参加を禁止したり、親ロシア派の自治区トップに対しては、「ロシアの政治介入支援」を理由に懲役7年の判決を下しました。モルドバは、EU加盟という目標に向けて、国内の政治的分断をいかに解決し、共存の道を歩むかという岐路に立たされています。